2014年8月23日土曜日

オバマの破綻と春戦略の終焉

 ISISに所属する英国生まれの若者たちのグループがアメリカ人ジャーナリストを殺害した。アメリカから傭兵を使い、協力者を支援して中東地域を管理するオバマ--ズビグネフ・カジミエシュ・ブレジンスキーの「春」戦略はこれで破綻した。アメリカはイラクに再介入しなければならないだろう。ISISの背後にはロシアがいるかもしれないが、イラクはベトナムと違う。野蛮人たちは徹底的に殲滅されるだろう。
 ロシアはウクライナをはじめ各地で冒険を試みているが、それはプーチン政権の弱体化を表している。政府と組織犯罪のすべてをFSBが支配するブラック政権は死に向かっている。中国もほぼ同じ、政治権力が組織犯罪まで支配する権力構造だが、ロシアも中国も常に内紛と解体の危機の上に成立している。
 世界島の終焉は黙示録の始まりにつながるが、ISISごときでハルマゲドンにはならない。

2014年6月15日日曜日

冷戦の地下

 5月14日付けのドイツのスピーゲルの英語版サイトに、「文書発見:元ナチス軍人たちは非合法軍事組織を結成していた」というクラウス・リグレフィ署名の記事が掲載された。
 元ドイツ国防軍と元武装親衛隊が対ソビエト秘密軍を結成していたという文書がドイツ情報部(BND)文書館から発見されたという内容だ。
  この反共地下軍についてはこれまでにも「グラディオ」「ステイビハインド」などの名称で取り沙汰されて来た。
  この反共地下秘密軍はアメリカの支援を受けていたが、アメリカは英国からその地下軍事諜報網を譲り受けたのだった。第二次大戦中の対独レジスタンスは、英国が戦前から工作していた地下軍事諜報網だった。
  フランスのレジスタンスの中心は暗黒街のギャングで、彼らは戦後になってド・ゴール政権に英米派と見なされ、追いつめられ、狩られて行った。
  また、レジスタンス派の多くは植民地主義者で、ベトナム、アルジェリアを植民地としていた。ベトナムが独立しようとした時、フランス植民者たちは失業したドイツ軍将兵を傭兵としてベトナムに送った。
  フランスのレジスタンスとドイツの国防軍、武装ナチスは昨日の敵は今日の友とばかりに、ベトナムでコラボレートしていた。
  ベトナム独立は、元アメリカの情報工作員だったホー・チ・ミンが指導していたが、ホーの部隊だったベトミンの軍事顧問は残留日本軍だった。
   こうして対仏独立戦争は日独戦となった。
   この時、戦費作りのためにホー・チ・ミンは山岳少数民族に阿片栽培を強要した。
   フランス人たちは少数民族のホーへの恨みを利用して阿片をフランス側に回させ、マルセイユ経由でアメリカに密輸した。これがフレンチ・コネクションと呼ばれた。
   ベトナムでの敗北後、フランス植民地主義者はアルジェリアに行った。そして、ド・ゴールがアルジェリアの独立を認めた時、植民地主義者たちはこれを裏切りとして、ド・ゴールの暗殺を計画し、いくつかの計画を実行に移し、失敗した。
   ド・ゴールはこれを英米の策動とし、フランスのNATO脱退を決め、パリにあった本部を追い出した。
   ベトナムでは、ホーがアメリカと独立交渉をしたが失敗し、ベトナム戦争が激化する。
   第二次大戦後、ソビエトは世界中で地下活動を活発化させ、アメリカは慌ててこれに対処を始めた。そうした背景の中に、支那の国共内戦、朝鮮戦争、そして、ベトナム戦争があった。
   戦争が長期化し、国内世論も親ソ派のプロパガンダに影響された結果、アメリカはベトナムを諦め、ソビエトをアフガニスタンに引き込む作戦に出た。
   台湾軍の地下部隊がベトナムからアフガニスタンに武器を運搬し、それを使ってアフガン・ゲリラがソビエトの傀儡であったアフガニスタン政府を攻撃した。
   ソビエトが北ベトナムに武器を供与し、秘密裏に派兵し、アメリカと戦火を交えていたのと同じやり方を、アメリカはアフガンで行った。    ソビエトはアフガンに侵攻し、ソビエト崩壊まで続く戦争に突入した。
   この間、世界中で左翼過激派の活動が活発化した。ソビエトはこうした勢力に武器と軍事訓練を供給した。ドイツのバーダー・マインホフ・グループ、イタリアの赤い旅団などヨーロッパの過激派にはパレスチナのPLO経由で武器が売られた。
   南米の左翼ゲリラにはキューバ経由で武器が売られた。南米の左翼ゲリラはコカイン売買に関与し、資金源とした。キューバはソビエトからの武器を南米に、南米からのコカインをアメリカに流通させる基地となった。
   ソビエトは、西ヨーロッパ侵攻の意図があったと考えられる。左翼過激派のテロ活動は、社会不安を醸成するための工作で、侵攻の下地作りだった。ヨーロッパでは「鉛の時代」と言われたこの時期、左翼のテロ活動を迎え撃ったのは反共秘密地下軍だった。
   この反共地下軍と西ヨーロッパ各国の右翼運動である国民戦線にはつながりがあると思われる。EU成立後、EU議会は右翼の巣窟と言われているが、反共地下軍の表の部分がEU議会を形成しているのだろう。彼らにはソビエトのヨーロッパ侵攻の野望を打ち砕いたのは自分たちだという気持ちがある。ソビエトの脅威と闘いぬいたその成果を多とするか、その暗黒面を見るか、判断の分かれるところだろう。
   ヨーロッパの反共地下軍はアメリカの支援を受けていた。半分はNATO軍の秘密軍事活動でもあった。また、カトリック教会の支援もあったと言われている。
   小説「ダビンチコード」で悪役として描かれたカトリックの信徒組織オプス・デイは強力が支援活動を行ったらしい。
   CIAと言われるアメリカ人神父がバチカン銀行の中心となり、莫大なカトリック資金を運用した。この過程で戦後イタリア政界の黒幕と言われた右翼と、その組織だったフリーメーソンのP2が粛清された。
   アメリカとバチカンのコラボレート最大の作戦はポーランドで、ポーランドの連帯には惜しみない支援が行われた。
   この頃、アメリカの最高司令官は戦略家ブレジンスキーだったと言われている。
   ブレジンスキーは、今、オバマ政権の背後で中東問題を扱っていると考えられる。
   ブレジンスキーの手法は、表面的な現地化と、地下での直接行動を特徴とする。
   エジプトを始めとする中東・アフリカ各国の内戦は、撤退を控えたアメリカが、現地の反政府勢力を支援して行った軍事戦略と見ていいだろう。傭兵、あるいは、民間軍事企業という形で、国軍ではない軍隊が大量に投入されている。イラク撤退、アフガン撤退の後も、地下での支援、軍事活動は続けて行われる。シリアで明らかになったように、アメリカと対立する側にロシアの支援が行われている。
   チェチェンでは、チェチェン・ゲリラにアルカイダなどのイスラム・テロ組織が接近していると言われているが、その多くが、実はロシアの情報機関FSBがアルカイダなどに潜入させた工作員だという。
   そして、今、ロシアがウクライナ侵攻を行っている最中に、かつての反共地下軍の新たな文書が発見されたのである。

2011年12月22日木曜日

ZP情報 12/22/2011 GMT

北朝鮮の権力後継者金正恩はスイスでロスチャイルドに教育されたイルミナティか?

2011年12月13日火曜日

ZP解析 12/12/2011 GMT

日本の福島原発事故は、環境派官僚派閥の力関係を変えたと考えられる。
 アル・ゴア派のCO2削減政策によって原子力発電を推進して来たグループである京都議定書派は、福島第一原発事故発生の時点で、オバマ米大統領の冷却剤提供の申し出を断った事によって事故を拡大長期化させ、後退した。
 彼らが冷却剤投入を躊躇したのは、それによって廃炉となるからだったが、原子炉を惜しむ気持ちが致命的な誤判断に結びついた。
 民主党菅直人政権は、その時点まで環境問題については議定書派が指導していたが、議定書派の後退によって、議定書以前の環境派官僚であった反原発派が返り咲く事となった。
 このグループは、外務省で言うならロシア・スクールであり、1980年の反核運動を演出したグループの系統だった。
 このグループは反原発意識を極めて戦術的に使い、議定書派の殲滅を図っている。
 エネルギー政策を戦略的に見れば、火力はもちろん、原子力も過渡的な技術であり、宇宙空間において太陽光発電を行い、テスラ技術によって地上に送電する未来が描かれている。
 要はここに行くまでにどういう過程を通るかの問題であり、相対的にだが、しかし、最も安全で安定した発電方法は原子力なのである。
 反原発派官僚もそれはわかっているはずで、落とし所は原発になるだろう。だから、問題なのは、誰の主導によってそうなるかである。
 議定書派を徹底的に後退させれば、反原発派によって原発推進が復活する運びとなる。その過程を経る事によって反原発派官僚の権限は盤石なものとなり、次の宇宙発電時代を取り仕切る席につける。もっと目先で言えば、電力利権を議定書派から反原発派が奪い取りつつある。
 反原発派が露骨なデマを流通させている裏で、利権が移動している。

2011年12月8日木曜日

ZP情報 12/07/2011 GMT

統一ロシア後退後の反プーチンデモの背後にブレジンスキーの影

2011年11月16日水曜日

ZP情報 2011/11/16

イランが、スイスのサンクト・ガレン紙の報道として、アメリカとイスラエルによる情報収集ウイルス「スタックスネット2」によるサイバー攻撃をしかけていると非難

ZP情報  2011/11/16

オーストラリアがインドにウラニウム販売

2011年11月7日月曜日

ZP情報 2011/11/07

 中東の春はロックフェラー系フランキスト・ネオコンの仕掛け。60%成功。アフリカで失敗。
イルミナティ中枢はウォール街占拠を仕掛けてネオフランキストを攻撃。
真相はアメリカの資産をめぐっての利害対立。
各国軍人は、フリーメーソンの内部分裂で四分五裂か。

ZP情報 Won't get fooled again

 フクシマ原発事故でCO2削減の議定書派官僚から権力を奪取し、増税で勝利の反核官僚、利権と権限の配分が落ち着き次第、原発再稼働、CO2削減に踏み切るとの予測。
要するにひとつの権限と利権をめぐっての争いが行われている。

2011年11月5日土曜日

ZP情報-korea

一部で北朝鮮とのつながりを指摘される韓国カトリック教会が、反政府、反日活動を活発化。

韓国の伝統を破壊(?)して来た教会が、外交、防衛の破壊に向かうか?

2011年10月30日日曜日

ZP情報

 ケインズはニュートンが残した占星術、錬金術、黒魔術についての膨大なメモを収集していた。ケインズは、最後の中世的魔術師ニュートンの後継者だった。

2011年10月29日土曜日

ZP情報

国際連盟、国際連合、GATT、第一次大戦のドイツの賠償問題処理、BIS、IMF、すべてウォール街の金融人が作った。ロックフェラーであろう。

2011年10月28日金曜日

ZP情報

ソロスが会長を務めるオープン・ソサエティ財団がサンフランシスコを拠点とするNPOタイズセンターに350万ドルを援助。
タイズセンターは、2001─2010年にウォール街占拠行動を仕掛けたカナダの反資本主義団体アドバスターズに総額18万5000ドルを支出した。

2011年10月27日木曜日

ZP情報

中東の春の仕掛け人はブレジンスキー。

2011年10月26日水曜日

ZP情報

ユダヤ系ポーランド人ブレンジスキーは、カーター政権下でCIAを使いアフガンゲリラを組織化してソ連を誘因、戦争で疲弊させ、ソ連崩壊にもっていった。

2011年10月25日火曜日

ZP情報

価値観の変容と大激動、更に進行。

2011年10月24日月曜日

ZP情報

米中関係は切れはじめている。

2011年10月23日日曜日

ZP情報

ロックフェラー、インドの核シェルターにお籠もり。

2011年10月22日土曜日

ZP情報

ソロスはロスチャイルドの手代。

2011年10月21日金曜日

ZP情報

ロスチャイルド、2000年までに買い占めたゴールドをスイスに保管。一族でスイスに移動。

2011年10月20日木曜日

ZP情報

アメリカで、ロックフェラーとロスチャイルド、コンフリクト。

ZP情報

英エリザベス女王とバチカン、カナダの寄宿学校でモホーク族の子供大虐殺。

ZP情報

ロックフェラーは戦争&カジノ資本主義派。

2011年8月1日月曜日

2011年 ビルダーバーグ会議

2011年 ビルダーバーグ会議

場所 スイス、サン・モリッツ
日程 6月9-12日

参加者
Note: The table is sortable on the Country and Name columns
Country Name (Present) Occupation
BELDavignon, EtienneHonorary Chairman, Bilderberg Meetings; Minister of State
DEUAckermann, JosefChairman of the Management Board and the Group Executive Committee, Deutsche Bank AG
GBRAgius, MarcusChairman, Barclays PLC
USAAlexander, Keith B.Commander, USCYBERCOM; Director, National Security Agency
INTAlmunia, JoaquínVice President, European Commission; Commissioner for Competition
USAAltman, Roger C.Chairman, Evercore Partners Inc.
FINApunen, MattiDirector, Finnish Business and Policy Forum EVA
PRTBalsemão, Francisco PintoChairman and CEO, IMPRESA, S.G.P.S.; Former Prime Minister
FRABaverez, NicolasPartner, Gibson, Dunn & Crutcher LLP
FRABazire, NicolasManaging Director, Groupe Arnault /LVMH
ITABernabè, FrancoCEO, Telecom Italia SpA
USABezos, JeffFounder and CEO, Amazon.com
SWEBildt, CarlMinister of Foreign Affairs
SWEBjörling, EwaMinister for Trade
NLDBolland, Marc J.Chief Executive, Marks and Spencer Group plc
CHEBrabeck-Letmathe, PeterChairman, Nestlé S.A.
AUTBronner, OscarCEO and Publisher, Standard Medien AG
CANCarney, Mark J.Governor, Bank of Canada
FRACastries, Henri deChairman and CEO, AXA
ESPCebrián, Juan LuisCEO, PRISA
NLDChavannes, Marc E.Political Columnist, NRC Handelsblad; Professor of Journalism, University of Groningen
TURCiliv, SüreyyaCEO, Turkcell Iletisim Hizmetleri A.S.
CANClark, EdmundPresident and CEO, TD Bank Financial Group
BELCoene, LucGovernor, National Bank of Belgium
USACollins, Timothy C.CEO, Ripplewood Holdings, LLC
ESPCospedal, María Dolores deSecretary General, Partido Popular
INTDaele, Frans vanChief of Staff to the President of the European Council
GRCDavid, George A.Chairman, Coca-Cola H.B.C. S.A.
DNKEldrup, AndersCEO, DONG Energy
ITAElkann, JohnChairman, Fiat S.p.A.
DEUEnders, ThomasCEO, Airbus SAS
AUTFaymann, WernerFederal Chancellor
DNKFederspiel, UlrikVice President, Global Affairs, Haldor Topsøe A/S
USAFeldstein, Martin S.George F. Baker Professor of Economics, Harvard University
PRTFerreira Alves, ClaraCEO, Claref LDA; writer
GBRFlint, Douglas J.Group Chairman, HSBC Holdings plc
CHNFu, YingVice Minister of Foreign Affairs
IRLGallagher, PaulSenior Counsel; Former Attorney General
CHEGroth, HansSenior Director, Healthcare Policy & Market Access, Oncology Business Unit, Pfizer Europe
TURGülek Domac, TayyibeFormer Minister of State
NLDHalberstadt, VictorProfessor of Economics, Leiden University; Former Honorary Secretary General of Bilderberg Meetings
GRCHardouvelis, Gikas A.Chief Economist and Head of Research, Eurobank EFG
USAHoffman, ReidCo-founder and Executive Chairman, LinkedIn
CHNHuang, YipingProfessor of Economics, China Center for Economic Research, Peking University
USAHughes, Chris R.Co-founder, Facebook
USAJacobs, Kenneth M.Chairman & CEO, Lazard
CHEJanom Steiner, BarbaraHead of the Department of Justice, Security and Health, Canton Grisons
FINJohansson, OleChairman, Confederation of the Finnish Industries EK
USAJohnson, James A.Vice Chairman, Perseus, LLC
USAJordan, Jr., Vernon E.Senior Managing Director, Lazard Frères & Co. LLC
USAKeane, John M.Senior Partner, SCP Partners; General, US Army, Retired
GBRKerr, JohnMember, House of Lords; Deputy Chairman, Royal Dutch Shell plc
USAKissinger, Henry A.Chairman, Kissinger Associates, Inc.
TURKoç, Mustafa V.Chairman, Koç Holding A.S.
USAKravis, Henry R.Co-Chairman and co-CEO, Kohlberg Kravis Roberts & Co.
USAKravis, Marie-Josée Senior Fellow, Hudson Institute, Inc.
INTKroes, NeelieVice President, European Commission; Commissioner for Digital Agenda
CHEKudelski, AndréChairman and CEO, Kudelski Group SA
GBRLambert, RichardIndependent Non-Executive Director, Ernst & Young
INTLamy, PascalDirector General, World Trade Organization
ESPLeón Gross, BernardinoSecretary General of the Spanish Presidency
CHELeuthard, DorisFederal Councillor
FRALévy, MauriceChairman and CEO, Publicis Groupe S.A.
BELLeysen, ThomasChairman, Umicore
USALi, ChengSenior Fellow and Director of Research, John L. Thornton China Center, Brookings Institution
DEULöscher, PeterPresident and CEO, Siemens AG
GBRMandelson, PeterMember, House of Lords; Chairman, Global Counsel
IRLMcDowell, MichaelSenior Counsel, Law Library; Former Deputy Prime Minister
CANMcKenna, FrankDeputy Chair, TD Bank Financial Group
GBRMicklethwait, JohnEditor-in-Chief, The Economist
FRAMontbrial, Thierry dePresident, French Institute for International Relations
ITAMonti, MarioPresident, Universita Commerciale Luigi Bocconi
RUSMordashov, Alexey A.CEO, Severstal
USAMundie, Craig J.Chief Research and Strategy Officer, Microsoft Corporation
NORMyklebust, EgilFormer Chairman of the Board of Directors SAS, Norsk Hydro ASA
DEUNass, MatthiasChief International Correspondent, Die Zeit
NLDNetherlands, H.M. the Queen of the
ESPNin Génova, Juan MaríaPresident and CEO, La Caixa
PRTNogueira Leite, AntónioMember of the Board, José de Mello Investimentos, SGPS, SA
NORNorway, H.R.H. Crown Prince Haakon of
FINOllila, JormaChairman, Royal Dutch Shell plc
CANOrbinksi, JamesProfessor of Medicine and Political Science, University of Toronto
USAOrszag, Peter R.Vice Chairman, Citigroup Global Markets, Inc.
GBROsborne, George Chancellor of the Exchequer
NOROttersen, Ole PetterRector, University of Oslo
GRCPapaconstantinou, GeorgeMinister of Finance
TURPekin, SefikaFounding Partner, Pekin & Bayar Law Firm
FINPentikäinen, MikaelPublisher and Senior Editor-in-Chief, Helsingin Sanomat
USAPerle, Richard N.Resident Fellow, American Enterprise Institute for Public Policy Research
CANPrichard, J. Robert S.Chair, Torys LLP
CANReisman, HeatherChair and CEO, Indigo Books & Music Inc.
USARockefeller, DavidFormer Chairman, Chase Manhattan Bank
INTRompuy, Herman vanPresident, European Council
USARose, CharlieExecutive Editor and Anchor, Charlie Rose
NLDRosenthal, UriMinister of Foreign Affairs
AUTRothensteiner, WalterChairman of the Board, Raiffeisen Zentralbank Österreich AG
FRARoy, OlivierProfessor of Social and Political Theory, European University Institute
USARubin, Robert E.Co-Chairman, Council on Foreign Relations; Former Secretary of the Treasury
ITAScaroni, PaoloCEO, Eni S.p.A.
CHESchmid, MartinPresident, Government of the Canton Grisons
USASchmidt, EricExecutive Chairman, Google Inc.
AUTScholten, RudolfMember of the Board of Executive Directors, Oesterreichische Kontrollbank AG
DNKSchütze, PeterMember of the Executive Management, Nordea Bank AB
CHESchweiger, RolfMember of the Swiss Council of States
INTSheeran, JosetteExecutive Director, United Nations World Food Programme
CHESoiron, RolfChairman of the Board, Holcim Ltd., Lonza Ltd.
INTSolana Madariaga, JavierPresident, ESADEgeo Center for Global Economy and Geopolitics
NORSolberg, ErnaLeader of the Conservative Party
ESPSpain, H.M. the Queen of
USASteinberg, James B.Deputy Secretary of State
DEUSteinbrück, PeerMember of the Bundestag; Former Minister of Finance
GBRStewart, RoryMember of Parliament
IRLSutherland, Peter D.Chairman, Goldman Sachs International
GBRTaylor, J. MartinChairman, Syngenta International AG
USAThiel, Peter A.President, Clarium Capital Management, LLC
ITATremonti, GiulioMinister of Economy and Finance
INTTrichet, Jean-ClaudePresident, European Central Bank
GRCTsoukalis, LoukasPresident, ELIAMEP
USAVarney, Christine A.Assistant Attorney General for Antitrust
CHEVasella, Daniel L.Chairman, Novartis AG
USAVaupel, James W.Founding Director, Max Planck Institute for Demographic Research
SWEWallenberg, JacobChairman, Investor AB
USAWarsh, KevinFormer Governor, Federal Reserve Board
NLDWinter, Jaap W.Partner, De Brauw Blackstone Westbroek
CHEWitmer, JürgChairman, Givaudan SA and Clariant AG
USAWolfensohn, James D.Chairman, Wolfensohn & Company, LLC
INTZoellick, Robert B.President, The World Bank Group
GBRBredow, Vendeline vonBusiness Correspondent, The Economist (Rapporteur)
GBRWooldridge, Adrian D.Foreign Correspondent, The Economist (Rapporteur)

2011年3月19日土曜日

リビア危機深まる


ガダフィの政府軍による、反政府軍機の撃墜場面のようです。
ベンガジでの映像です。

2011年3月7日月曜日

SAS解放さる

 リビアで捕虜となっていた英特殊部隊SASの8名が、反政府派によって解放された。

2011年3月1日火曜日

ガダフィ、毒ガス使用

ガダフィが反対派にマスタード・ガスを使用の情報。

ロシア、中国、反ガダフィでフランスと連携

ロシアと中国がフランスと連携し、ガダフィの軍事行動に反対。

2011年2月27日日曜日

英特殊部隊、リビアで作戦行動

在リビア英人救出のため、英特殊部隊(SAS=Special Air Service、SBS=Special Boat Service)が砂漠の電撃救出作戦決行。150人救出。

2011年2月20日日曜日

イランで反政府抗議行動

イラン反政府派、今日(2月20日)大規模抗議行動

ガダフィーの狙撃手

リビア政府、反対派を沈黙させるため、スナイパー配備

2011年2月17日木曜日

リビア 死者14名に

 リビアの反政府派の死者は14人になった模様。

ジョブズに迫る死

スティーブ・ジョブスは数週間の命か?

シリア ヒズボラ脱獄支援

シリア大使館、カイロでヒズボラ囚人脱獄を支援

バーレーン

バーレーン 死亡は8人

銃撃 4人死亡

銃撃で4人死亡 警察暴動班、反政府派キャンプ襲撃 バーレーン

2011年2月13日日曜日

エジプト危機余波?

ムバラクの次はベルルスコニか?
イタリアの200都市でベルルスコニ反対派キャンペーン

2011年2月12日土曜日

ムバラク辞任

スイス、ムバラクの資産を凍結

2011年2月11日金曜日

エジプト危機 軍、ムバラク支持 

エジプト軍のムバラク支持に反政府派激怒

エジプト危機002

元CIAエジプト支局長、アメリカ政府の対応に「疑問」呈する

ムバラク辞任拒否

エジプト大統領ムバラク、辞任拒否

エジプト危機

エジプト軍司令官、反政府派と協調か?

2011年2月10日木曜日

英国の各情報をアメリカがロシアに提供

アメリカが英国の核の機密をロシアに渡していたと、ウィキリークスが暴露。
(提供:目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ)

エジプト危機にアメリカの影

米、エジプトのオマル・スレイマン副大統領を支持か。
(提供:目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ)

2011年2月7日月曜日

世界ハイパーインフレの危機

デフレが終わり、インフレ到来か?!
(提供:目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ)

2011年1月31日月曜日

目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ

ヒラリー・クリントン:「エジプト政府は我々のパートナーのまま」。
(提供:目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ)

目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ

エジプト警察が対暴動で使用の催涙ガスはアメリカ製。
(提供:目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ)

2011年1月27日木曜日

情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ 

1月23日から秋葉原の歩行者天国が再開された(6月26日まで試験的再開)と
思ったら、何の事はない、1月25日に歩行者天国中止の原因と なった秋葉原無
差別連続殺傷事件の被告加藤智大に死刑が求刑された。

検察もイベント型裁判を仕掛けるとは巧妙になったものだと感心する。マスコ
ミはこういう仕掛けに乗って、ますます悪質になる。まあ、元々善良で あった
わけではないし、さほど能力があったわけでもないから嘆くような話でもないの
が救いではある。

日本の法律に死刑がある以上、加藤智大が死刑であっても構わないが、情動を
煽る検察と法務省のやり方には疑問がある。

馬鹿な事をやったものだ。
(提供:目森一喜情報解析 ビジネス・インテリジェンス・リソーセズ)

2011年1月7日金曜日

新約聖書「マタイ伝」

新約聖書「マタイ伝」によれば、イエスは奥義を譬え=象徴で語る人である。

第十三章
十 弟子たち御許《みもと》に來りて言ふ『なにゆゑ譬《たとへ》にて彼らに語り給ふか』
十1 答へて言ひ給ふ『なんぢらは天國の奧義《おくぎ》を知ることを許されたれど、彼らは許されず。

イエス・キリストの像に惑わされず、象徴を使って語るというところに注目すれば、それが隠秘主義、神秘主義=オカルトの著しい特徴に他ならない事に気がつく。
同じ章の

三四 イエスすべて此等のことを譬《たとへ》にて群衆に語りたまふ、譬《たとへ》ならでは何事も語り給はず。
三五 これ預言者によりて云はれたる言《ことば》の成就せん爲なり。曰く『われ譬《たとへ》を設けて口を開き、世の創《はじめ》より隱れたる事を言ひ出さん』

世のはじめより隠れたる事をたとえで語るというのは、隠しつつ語り、語りつつ隠すという、これもまたまさしくオカルトそのものの話法である。
さらに、こういう部分もある。

第十六章である。

六 イエス言ひたまふ『愼みてパリサイ人とサドカイ人とのパン種に心せよ』
七 弟子たち互に『我らはパンを携へざりき』と語り合ふ。
八 イエス之を知りて言ひ給ふ『ああ信仰うすき者よ、何ぞパン無きことを語り合ふか。
九 未だ悟らぬか、五つのパンを五千人に分ちて、その餘を幾籃《いくかご》ひろひ、
十 また七つのパンを四千人に分ちて、その餘を幾籃《いくかご》ひろひしかを覺えぬか。
十1 我が言ひしはパンの事にあらぬを何ぞ悟らざる。唯パリサイ人とサドカイ人とのパンだねに心せよ』
十二 爰《こゝ》に弟子たちイエスの心せよと言ひ給ひしは、パンの種にはあらで、パリサイ人とサドカイ人との教なることを悟れり。

イエスの信仰とは「パン」が「パリサイ人とサドカイ人との教」であるのを咄嗟に解読するような頭脳の働きを要求するものである。
このような知性主義は崇め、礼拝する事に主眼をおく一般的な信仰というよりも、謎を読み解く事を主眼とするオカルトのものである。
イエス・キリストにとって、オカルトの解読に精通する事こそが信仰なのであり、崇め、拝む事ではないのだ。
預言者イエスは、喩え話で隠れた原初の真実を語る人であるだけでなく、また、治療師=医師であり、パンを増やしたり、水上を歩いたりする人である。
こうした特徴をならべて行くと、浮かび上がる像は、錬金術師といった方が近い。つまりオカルティストである。
イエス・キリストは高度な術を身につけたオカルティストだったかもしれないのである。技術だけではない。超能力も持っていたかもしれない。自然魔術と超能力が渾然一体となった力を持った修行者だったのである。

バプティスマのヨハネは水を使った洗礼を行った。水による再生のイメージはわかりやすい。そのヨハネは、イエスは火によってバプテスマを施すと言っている。

第三章
十一 我は汝らの悔改《くいあらため》のために、水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力《ちから》あり、我はその鞋《くつ》をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。

イエスが喩えで語る以上、聖書は比喩や象徴として語られていると見なければならない。では、ヨハネの言葉は何を象徴しているのだろう?
火はゾロアスターである。ソロアスターはミトラ教系の信仰である。ミトラ教では十字架が使われている。
イエスは処刑される時、十字架にかけられたのではなく、一本柱に磔にされたのだが、それがあえて十字架とされた。それは、ゾロアスターというよりは、ミトラ教のイメージがイエスに重ねられ、関係づけられたからではないだろうか。
それによって、イエスの死の力が増したのである。
東方より訪れた博士たちは、ゾロアスター=ミトラの使者であり、賢者だったろう。おそらく、彼らがエジプトでか、ナザレでか、イエスを教育・訓練した。
その成果が自在の喩をあやつる話術であり、医術であった。
また、イエスの父ヨセフが大工であった事も意味があるかもしれない。これを建築技術者と見れば、後のフリーメーソンにつながる。
フリーメーソンを作ったとされるテンプル騎士団は、十字軍に参加した時、ソロモンの神殿で重要な秘密を手にしたとされる。その秘密が、イエスの誕生にまつわる東の賢者とつながっていたかもしれない。
フリーメーソンはカトリック教会によって禁止されたために秘密結社なのだが、そのもうひとつ奥の事情として、あえてよく知られた秘密結社である事によってイエスが秘密結社員だった事を示しているのかもしれない。
キリスト教会=イエス・グループそのものも、まさしく秘密結社としての布教活動を余儀なくされた時期もあった。その時のイエス・グループは、もっと大きな結社のロッジだったかもしれない。

処刑される時、イエスは、

第二十七章
四六 三時ごろイエス大聲に叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言ひ給ふ。わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意《こゝろ》なり。

と、エリヤに呼びかけている。このエリアこそが、東の賢者を遣わしたのではないか。
イエスは秘密結社エリヤが育てたオカルト術者であり、ユダヤ教パリサイ派に対する攻撃を任務とした超能力者だったのではないか。
だが、部下(使徒)たちに背かれ、エリヤに見捨てられ、死んで行った。
そして、エリヤは、これを反魂の術で生き返らせたのである。
マタイ伝の第八章には、生き返った者の話がある。

二八 イエス彼方《かなた》にわたり、ガダラ人の地にゆき給ひしとき、惡鬼に憑かれたる二人のもの、墓より出できたりて之に遇ふ。その猛きこと甚だしく、其處の途《みち》を人の過ぎ得ぬほどなり。

「悪鬼に憑かれたる二人のもの、墓より出できたり」というのは、まるでゾンビーである。ゾンビーは西アフリカの呪術者の中で邪道に転じ、奴隷として追放された者がハイチで行っている呪術であるが、世界各地に、伝説として蘇りの話はある。
エリヤが遺伝子工学でイエスのクローンを作っていたとしても不思議ではない。オカルトはすでに古代、いや、神代において多くの事を成し遂げていた形跡がある。そして、それが処女懐胎の真相であるかもしれない。

イエスがオカルティストであるかもしれず、また、秘密結社員であったかもしれないという事で、イエスが悪魔の使いだったなどと言いたいのではない。敬虔な真の信仰と、信仰に裏打ちされた力を持っていたが故に比喩でしか語れなかったのかもしれないし、時が来るまでは明かせない真実もあるかもしれない。
ただ、マタイ伝を素直に読むと、このような読み方が出来るというだけである。
歴史的に見れば、キリスト教会は多くの悪業に手を染めて来た。しかし、信者の信仰の純粋さとその事は切り離して考えられる。
、つい最近も、聖職者たちが、長年にわたって世界各国で児童強姦を繰り返して来た事が明らかになったが、明らかにしたのも、また、キリスト教徒である。
イエスは、さんざん教えたにもかかわらず、「パン」が「パリサイ人とサドカイ人との教」であるのを理解できず、実体的にパンだとしか思えない弟子たちを見て、奥義を明かせなかっただろう。力を与える段階にないと判断せざるをえなかったのである。だが、象徴的には教えたのではないか。
秘密である理由が、善であるのか、悪であるのか、そのどちらもありえる。だから、秘密結社である事そのものから善悪の判断はできない。
そのような前提をどれだけ共有できるかわからないが、その上で、マタイ伝を読み、イエス・キリスト一派がミトラと何らかの関係を持つ結社の一員であった可能性を考えるに至った。

2011年1月6日木曜日

国家

 ヨーロッパの古代国家はローマだが、ローマの後継者となったカトリック教会は中世にあって世界となった。その理由はローマが世俗権力であったのに対して、教会は神聖権力だったからである。そのため、人の内面まで拘束した結果、ひとつ高次な権力となったわけである。
 そして、世界から分離する形で国家が成立する。その事によって中世が終わって行くわけだから、国家の世界からの分離とは、近世への歴史の移り変わりを示す画期である。
 ヨーロッパの近世国家は戦争や生産への人員動員の必要から領民に権利を与えて行った。人の権利はこうして上から与えられたもので、最初は何もなかった。
 王の領地に付属した領民は、権利を与えられる事によって国民化して行った。権利に対する意識が所属意識、あるいは、帰属意識、つまり、アイデンティティーと言っていいかもしれない。
 お父さんが偉いのは戦争に行って権利を獲得して来たからである。権利獲得装置としてのお父さんの役割が終わると、次の権利獲得装置としての女の役割が増え、男より女の方が偉いといった風潮になる。この構造は無権利状態からの離陸を前提としているものだ。
 もし、国家が戦争などで敗北した場合、手に入れた権利が損なわれてしまう。
そうした利害が根底にあって、国家は利害共同体となり、そこで愛国心が少しずつ形成されて行く。
 国家が作られて行くのは主に二十世紀に入って以降である。当然、愛国心の形成はもっと遅く、先進国でもって第二次大戦を経て、他の地域、国では、国家の形成過程を通じて、愛国心が作られて行く。
 利害共同体の基礎は言語・民族・習慣をひとつにする集団となる場合が多い。
大きくまとまっている方が利益の分配に都合がいいからである。王族など、権力中枢は最も少数派に決まっているが、多数派を敵にまわすと面倒臭い。どちらにしても権利を分け与えるなら、多数派に与えた方が効率がいいわけである。そこで多数派が優先される。そして、社会が発展すると、多数派に余裕が出来て来て、少数派にも権利を分けようという気運が生じる場合が多い。常に後回しにされている二番手、三番手の集団が完全にそっぽを向いてしまうと多数派も困るので、調整が必要になるのである。
 社会主義国家でこの過程が進まないのは、独裁集団が社会の発展を抑制してしまうためであり、また、権利が党に集中したまま固定するためである。この固定は調整ではなく強制によって成し遂げられる。
 集団間の利害の衝突は常に存在し、調整の必要も常に存在する。アメリカは利害の衝突が大きな国で、それだけに内部の緊張も大きい。大統領の権限が大きい
のは利害の衝突の大きさに比例している。アメリカの統治力の高さは、その必要あっての事である。それでも、常にほつれている。
 日本では、古代国家がローマと違い、神聖権力であったため、そこから世界が生まれる事はなかった。かえって、武家による世俗権力の確立によって中世が成立するという過程をたどった。日本人が「世界」を把握しにくいのは、そういう理由があるかもしれない。
 世界は、普遍的に地球丸ごとというイメージではなく、ヨーロッパ中世のカトリック世界の事ととらえた方がいい。別の言い方をすれば、それは地域に他ならない。
 ヨーロッパ人は、そういうローカル極まりないものを、グローバルで普遍的だと誤解しているが、つける薬はないから放っておくしかない。せいぜい、こちらはヨーロッパの自己申告を真に受けないようにするのが肝心だろう。日本にとって、世界など、本質的にどうでもいいのだ。世界などより地球の方が大事に決まっている。
 日本の愛国心は明治以降に成立して行く。それ以前、近世=江戸時代はお家が大事だった。古代から戦国時代まで、一族郎党が生きる単位だった。人々は棟梁に所属し、棟梁の敵は自分の敵だった。お家とはその一族郎党である。後は、村に帰属したり、職業に帰属し、その共同性の中で人は生きた。
 明治以降、それが国家に対する帰属意識に変わるには日露戦争が大きなきっかけだったと考えられる。明治になったと言っても、政府自体が薩長藩閥意識から抜けられずにいた。だが、日露戦争を前に国民の側が危機意識を持ち、郵便貯金をして行く。
 郵便貯金は日露戦争の戦費を捻出するために始められた制度であった。これが意外な貯金を集めた。特に地方での貯金が多額なものとなったのに目をつけた明治革新官僚たちが、地方改良運動をはじめる遠因となった。
 日本は、当時の超大国ロシアとの戦争によって一体となり、国家意識を高揚させ、愛国心を形成した。
 日本の愛国心は、このような状態で成立したものであり、天皇の赤子としての帰属意識が重要な位置を占めた。
 ヨーロッパのように、利益があるから帰属するという事ではなく、神聖性に帰属するという所で日本の愛国心の基底はかなり違う。もちろん、それだからと言って、日本を卑下する必要もないし、日本人は純粋で偉いなどと思い上がる必要もない。ただ、違うというだけの話だ。
 基本的に愛国心は、必要に迫られての事であっても、国家が権利の保証装置となったところに発生した。
 これは健全な事である。日本人の安全と利益を守るのは、最終的に日本国家しかない。
 その状態は当面変わらないにしても、国家を取り巻く状況は、少しずつだが、柔らかなものとなっている。自己防衛のために身構えていなくても、周囲とうまくやって行く可能性が出て来ている。
 この可能性が拡大すれば、愛国心が愛国心の内部から、自らを超えるものを生み出すだろう。愛国心が人類愛といったものの母となるのである。
 普遍的な人類愛が、いきなり成立するものではない。踏まえるべき現実が国家であるなら、あるいは地域であるなら、そこからしか次のものは作り出せない。

2010年12月28日火曜日

国際情勢分析 米軍イラク撤退

米軍がイラクを撤退した。未熟な新イラク軍に対して、旧フセイン派、アルカイダといったテロ集団が攻撃を激化させている。
元々イラクは民主党と親密な関係にあった。カーター大統領時代にはカーター政権の意を受け、イランと戦争を行った。当時、アメリカは大量の軍事顧問をイラクに投入していた。
また、親米派だったサダム・フセインは、長年アメリカ人傭兵を雇ってもいた。
イラン・イラク戦争を振り返ると、一方のイランは共和党とのつながりが深い、カーター時代のイラン革命で捕虜にしたアメリカ大使館員をロナルド・レーガン時代に釈放している。一部のイスラム原理主義者をのぞけば、イラン人の多くが親米である。歴史上、少数の強硬派が多数を引っ張って我を通してしまう例はよくある。
現在のイラクも、多数の国民は戦争やテロにうんざりしているだろうし、アメリカと仲の良い豊かな産油国に戻りたいはずだ。
だが、フセインが政権維持のために煽って来たシーア派とスンニ派の対立、クルドの民族問題は激化する一方だ。
これは開戦前にあったイラク三分割案に沿って、対立が煽られ続けている可能性もある。イラクはゆっくりと三分割に向かっていると見る事もできるからである。
こうした状態で米軍が撤退すれば治安維持力に空白が生じる。現イラク政権は軍事的力をアメリカに依存して来た。そして、今にいたるも自らの治安維持能力を保持していない。彼らのイラク軍は育っていない。また、近い将来に力を持つ見込みもない。
これは撤退が決定した時にわかっていた事だ。サダム・フセインは長期にわたって独裁政権を維持して来ており、現在でもかなりの残存勢力を残している。新しい政府が簡単に治安を維持できるわけはないのである。
そうしたイラク情勢の中、米軍が撤退したのである。
だが、米軍が撤退したといっても、実は米国の軍事力はまだ残っている。民間軍事企業である。こちらは増強されているのである。
もし、これを認めなければ、旧フセイン勢力とアルカイダのようなイスラム過激派によってイラクで大虐殺が引き起こされるだろう。そこで英米の民間軍事企業にその力を委ねるしかないのである。
もちろん、オバマ政権は最初からそのつもりで事を進めて来たはずである。
かくして、イラク戦争は民営化されたのである。

2010年12月26日日曜日

マービン・アンテルマン試論・1

マービン・アンテルマンの『トゥー・エリミネイト・ザ・オピエイト』(TO ELIMINATE THE OPIATE)はイルミナティ研究の画期をなした書である。
アンテルマン以降、ユダヤとイルミナティは峻別される事となった。それまでは、イルミナティもフリーメーソンも、すべて「ユダヤの陰謀」として括られていたのである。それを、イルミナティ研究を通しての歴史的、国際的陰謀の解明をもって新たな地平を切り開いたのがアンテルマンの仕事であったと言って過言ではない。
アンテルマンはアメリカで黒人過激派によるユダヤ人への攻撃を体験した。そして、これに対抗しようとした時、同じユダヤ人でありながら、リベラル派が黒人過激派に味方した事に驚き、憤った。ユダヤ人の生命財産の侵害に、ユダヤ人が荷担したのである。これは比喩ではなく、実際に血が流されたのだという。
アンテルマンは自衛の戦いを開始した。その一環として、リベラル派の思想研究が行われた。情報戦である。そして、それがイルミナティ研究にアンテルマンを導いたのである。アンテルマンの研究は陰謀論趣味といった次元のものではなく、今日明日に必要な、現実的実際的な戦いの産物だった。
アンテルマンは、イルミナティがその啓蒙主義をもってユダヤ教を破壊しようとしたとする。神よりも理性という啓蒙の主張は信仰の破壊でしかないというわけである。
そして、ユダヤ教の破壊は、ユダヤ教の聖書を聖典とする事でユダヤ教を起源とするキリスト教、イスラム教の破壊につながるという。イルミナティは、キリスト教にもイスラムにも浸透しているというのである。
イルミナティの啓蒙主義は、フランス革命のジャコバンを生み出し、ユダヤ教改革派を作り出し、また、保守派も作り出し、正義者同盟(ブント)を作り出した。
正義者同盟は共産党の前身であったが、彼らはカール・マルクスを雇って共産党宣言を書かせたのだという。マルクスが改宗ユダヤ人でありながら反ユダヤ的言論活動を行った事も触れられている。これは事実である。
このあたりは現在ならさほど驚かされないが、本書が発表された一九七四年には、アメリカでさえずいぶんと刺激的だったろう。だが、マルクスや、マルクスの周辺の怪しさはいくらでも解明されてしかるべきなのだ。
マルクスの名で、あまりにも多くの血が流されて来た。それなのに、そのありようはあまりに伝説化されすぎて来た。一例を挙げれば、マルクスの著書には、その死後、エンゲルスをはじめソ連の担当者といった多くの者の手が入っているが、それすら長い間曖昧にされて来た。主著である「資本論」も、第一巻はマルクスの手になるものだが、第二巻以降は、死後にまとめられたという事情もあって、エンゲルスによって大幅に手が入れられている事が今では明らかにされている。これについてマルクス主義者たちはオリジナルが歪められた事を不見識と憤慨するかもしれないが、憤慨する方が不見識かもしれないのだ。つまり、マルクスの書いたものがオリジナルとして崇め奉られるたぐいのものではなく、用を足すためには手を入れてもいいようなものとして成立していた可能性がある。「共産党宣言」が雇われ仕事だったというのは、そういう事につながる。実際、ソビエト・ロシアでは、用を足すためにマルクスを十二分に活用して来た。人道や良心を踏みにじるために、マルクス主義と(ボルシェビキ)革命は便利な道具であり続けた。それをレーニン主義と言うが、スターリンもトロツキーも、その他の後継者も、みなレーニン主義だった。そして、マルクス主義は、そうしたレーニン主義と一揃いになって実用に供されなければ、無意味な教条でしかないものだった。
マルクス主義の悪はすでにわかっている。しかし、それがイルミナティの陰謀に発している事は解明されつくしていない。アンテルマンの仕事は、進歩派との戦いから始まり、マルクスなど通り越し、はるかに深く、歴史に突き刺さって行った。

2010年12月25日土曜日

国際情勢分析 パキスタン洪水支援の裏

パキスタンは大きな洪水被害にみまわれ、その被害規模もまだ明らかになっていない。現地ではコレラの発生が見られるなど、難民の救援は急を要する状態にある。だが、難民となった人々にさならる追い打ちをかける状況がパキスタンにある
在米パキスタン人は本国にほとんど救援金を送っていない。なぜかといえば、腐敗した政府の人間たちの懐に入ってしまうからである。役人たちにくすねられるとわかっていて送金する者はさすがにいないというわけである。
それだけではない。アフガニスタンから逃げこんで来たタリバン勢力が事態を複雑にしている。
タリバンは、難民に西側からの支援を拒否せよと呼びかけ、独自の救援活動を行って競争をしかけている。また、海外の救援団体の隊員を誘拐すると宣告している。
それだけを見れば、相変わらず硬直した宗教性と物事の軽重の判断のつかない頭の悪さ、凶暴さしかないが、実は彼らも海外からの支援を横領している可能性がある。
元々タリバンが長年戦えているのは、武器、資金の支援があるからである。
まず、アルカイダと一緒で、アラブ世界全体からの支援や支持があるだろう。また、パキスタン内のタリバン支持勢力がある。これは政府内や軍部にまでいて、軍事物資や情報をタリバンに渡している。アメリカがパキスタンに提供する武器の一部がそのままタリバンに流れているわけである。
それだけではない。中国からパキスタンに入る武器もタリバンに流れている。
中国からの武器は、パキスタン政府に入るものと、闇市場に流れこむものがある。ずいぶん前からパキスタンは大きな武器の闇市場と言われている。ここに流入する武器の多くは中国製と考えられる。
アフガニスタンとパキスタンの戦闘を見ると、大量の武器の消費消耗を考えねばならない。それを補うだけの武器の供給元は中国以外に考えられない。
勘定高い中国から武器を買い、戦争を続けるために、タリバンはいくら金があっても足りない。そして、今、国連の呼びかけもあって、パキスタンに巨額の支援金が入り始めている。
どれだけの金がパキスタン政府とタリバンに横取りされるのか……

2010年12月21日火曜日

UFOfiles

ロシア宇宙飛行士とUFO
(露プラウダ 2009/11/06)
2009年9月30日、史上初のウクライナ人宇宙飛行士パヴェル・ロマノヴィッチ・ポポヴィッチ少将が亡くなった。多くの叙勲を受けたソビエト連邦の英雄であり、常に民族の誇りを忘れない人物だった。
彼の人生は、1978年以来のソ連のUFO調査の混乱した歴史と密接に交差して来た。
彼は1929年10月5日、ソビエト・ウクライナで生まれた。若き技術者であり、アマチュア・パイロットだった彼はソビエト空軍に入隊した。1960年に、彼は第一期宇宙飛行士として登録された。彼は有人宇宙ロケットの史上四番目の宇宙飛行士だった。彼は宇宙飛行士訓練のすべてを体験した。
彼の最初の宇宙飛行は、1962年のヴォストク4宇宙ロケットによるものだった。後に、ソビエトの月面探査計画の訓練を受ける。計画が中止となった後、ソユーズ宇宙船の訓練に入る。1974年のソユーズ14の二度目の宇宙作戦で、彼はパイロットを務めた。この飛行はソビエト軍の宇宙技術研究の一部だった。ポポヴィッチは暗号名ベルクト1(ゴールデンイーグル)と呼ばれた。サリュート3宇宙ステーション(本当の名前は秘密戦基地アルマズ2)とドッキングした。ポポヴィッチと技術者たちは軍事情報作戦の指揮下にあった。彼らは強力な赤外線光線機器、14の特別カメラ、そして、電磁波キャノンを所持していた。任務のひとつは、アメリカのスカイラブ・ステーションを3人の宇宙飛行士とともに捕獲する事だった。アメリカ人はポポヴィッチに「侵略者」というあだ名をつけた。だが、作戦は後に打ち切りとされた。
1980年から1989年の間、彼は副司令官としてガガーリン宇宙飛行士訓練センターに配属された。
1990年、ソビエト・ユニオン初の公立UFO調査機関OYUZUFOTSENTRが公式に設立された。理事長は潜水艦乗りの元海軍将校で、苦難の独立UFO研究者のV・アジャジャだった。パヴェル・ポポヴィッチが総裁になったのは、UFO研究家である友人の懇願によるものだった。ポポヴィッチはUFOに関心を持っていなかった。彼は、ソビエト秘密作戦の一部として、研究の独立性を保つべく努力した。彼の権威と名声は、1991年以降のロシアで、アジャジャを大いに助けた。
1978年、強力な軍事機関委員会がふたつのUFO調査センターを作った。ひとつはソ連科学アカデミー内で、もうひとつはソ連防衛省内だった。ソ連科学アカデミーの超常現象研究は、SETKA-ANとして特別科学研究計画の主題に指定された。ソビエト国防省は、シークレットSETKA-MOというよく似た計画を開始した。両方のセンターは、互いのUFO研究で協力しあい、情報を交換した。SETKA-ANの最初の活動は、UFOという禁止用語の代わりに「異常大気現象」という用語を使用する許可を得る事だった。
SETKA-ANの批評家はロケット発射の観測間違いにすぎないといった、UFOの存在を否定する調査を行った。しかし、UFOは軍隊の訓練の間に出現し、無線交信を切断したり、機械を機能不全に陥らせてた。
研究は1991年に終了したが、専門家のグループは一般医学部とロシア科学アカデミーの宇宙科学部門に残り、1996年まで報告を続けた。
ポポヴィッチによれば、UFO情報は第二次世界大戦中のクルスク戦から始まる。
1978年、ピッツバーグで開催された国際ガガーリン会議からの帰還途中、ワシントン−モスクワ便の機内でパヴェル・ポポヴィッチはUFOを目撃した。
標高は10500メートルだった。ポポヴィッチは操縦席に駆け込んだ。操縦室の機器には何も示されていなかった。また、地上からも何も観測されなかった。
乗組員もその物体を目撃した。物体は素早く動きまわった。それは簡単に航空機を追い越した。それは、数分と視界に留まってはいなかった。彼らはプロフェッショナルとして、物体が何なのか決定できなかった。
ポポヴィッチは目撃について何も言えなかった。それが秘密兵器の試験だったかもしれないからだった。
晩年、ポポヴィッチはもう一度宇宙に飛びたいという夢を語りながら、宇宙飛行士たちの多くが住む、モスクワ近郊で暮らした。

UFOファイル探しのハッカー裁判
(英タイムズ 2009/11/27)
(英インデペンデント 2009/11/27)
アスペルガー症候群患者ゲリー・マッキノンは、2003年にアメリカ軍とNASAのコンピュータに侵入し、検挙された。彼がハッキングしたのは、隠されたUFOの証拠を探してのことだった。
2009年11月、裁判でアメリカへの引き渡しを行わないよう訴えたが拒否された。

ダリネゴロスクUFO事故:ソビエト連邦のロズウェル事件
(露プラウダ 2010/02/05)
1986年1月29日7時55分、ソビエトのロズウェルと呼ばれる有名なUFO事件が発生した。
ダリネゴロスクはロシア極東部の小さな炭鉱町である。凍てつく1月のその日、赤い球体が南東方向から飛んできて、ダリネゴロスク上空を通過し、イズヴェストコヴァヤ山の611高地に激突した。その物体は無音で、地面と平行に飛んだ。それは直径3メーター近く、ほぼ完璧な球形で、突起物も溝もなく、焼けたステンレス鋼に近い色だった。一人の目撃者、V・カンダコフはそのUFOの速度は時速15メーターに近かったと証言した。
1986年2月8日午後8時30分、2機の黄色い円盤が北から飛来した。墜落現場上空を4度旋回し、その後、北に引き返して行った。1987年11月28日午後11時24分、32の飛行物体がどこからともなく出現した。それは数百人に目撃された。

UFO、羊を攻撃 英国
(米ニューザー 2010/04/06)
レーザー光線で羊が負傷した。


ニューヨークの教授UFO学位主張
(米ニューザー 2010/04/14)
フィリップ・ハーズリー教授がUFO目撃の真面目な研究の機が熟したとしている。数百万人の目撃が毎年報告されている。

UFO、規則的にモスクワに出現し始める
(露プラウダ 2010/05/21)
2009年12月21日、赤の広場でUFOが目撃された。
1977年8月5日、3つの火の玉が目撃されているが、モスクワ上空へのUFOの出現は頻繁ではなかった。

EUのXファイル
(英テレグラフ 2010/07/06)
EU議会がUFO目撃の「Xファイル」文書館設立を求める。

中国にUFO出現
(露プラウダ 2010/07/20)
7月14日夜、UFOが中国航空蕭山空港を混乱らせた。14便200人に足に影響が出た。目撃者は多数いたが、空港のレーダーには補足されなかった。

チャーチル、UFO事件を隠蔽
(英テレグラフ 2010/08/05)
UFOファイル:第二次大戦中、英空軍爆撃機のUFO遭遇で、国民のパニックを恐れたウィンストン・チャーチルが「パニックの恐れがある」と事件の隠蔽を命じた事が明らかとなった。

ザ・UFOファイル:目撃のスケッチと報告 英国
(英テレグラフ 2010/08/05)
英国防省がUFOファイルを新たに公開した。

英国立文書館のUFOファイル、ウェールズのロズウェルを信じる人々を支持
(英ガーディアン 2010/08/15)
UFOエンスージャストが「ウェーリッシュ・ロズウェル」と呼ぶ、ウェールズ北部の1974年のエイリアン機事故と、政府職員による遺体の持ち去りの証拠となる文書が公開された。
1974年1月23日の事件の場所は封印された。エイリアンたちの遺体は、分析のため、イングランド・サリズベリー北東にあるポートンダウン英国国防省応用微生物研究所に持ち去られた。1947年にアメリカで起きたロズウェルとそっくりの事件だった。

地球外宇宙船の着陸と事故は頻繁
(露プラウダ 2010/08/18)
エイリアンの宇宙基地は謎の場所、ボリビアのエルタイアー山の中にある。

2010年12月20日月曜日

イルミナティ覚書

インターネットのサイト、ニュー・アドベントのカトリック・エンサイクロペディア(http://www.newadvent.org/cathen/)にイルミナティの項がある。

これによればイルミナティの設立者アダム・ワイスハウプトは一七四八年二月六日、バイエルンのインゴルシュタットで生まれたという。両親はヴェストファーレン人だったようだ。
ユダヤ教正統派ラビ、マービン・アンテルマンによれば、ワイスハウプトはユダヤ人であった。

ワイスハウプトは一七五三年、五歳で父を失う。それでも名付け親であり、イクシュタット高校校長であった祖父の助力があり、イエズス会学校に学んだ。祖父は自由思想の持ち主で、ワイスハウプトは早い時期に大きな影響を受けたという。
一七七二年、ワイスハウプトはインゴルシュタット大学で民法の講師として職を得る。そして、翌一七七三年には教会法教授に就任するのである。俗人としては初の教授就任であった。
これには後に述べる事情が考えられるが、ワイスハウプトが優秀だったのは確かな事だろう。若干二四歳、おそらく頭が良いだけでなく、性格も強く、自らに恃むところも大きい青年であっただろう。
少壮の教授ワイスハウプトは学生に強い影響をもたらしたが、その合理主義が大学の支援者であるインゴルシュタットの有力者に悪い印象を与えたという。
ワイスハウプトはそこで、秘密結社の力で自らを守ろうとしたと、カトリック・エンサイクロペディア(以下、百科)にあるが、少し唐突な印象を受ける。

実はこのあたり、別の説もある。
一七七〇年にワイスハウプトはマイヤー・ロスチャイルドと会って資金援助され、秘密カルトを作ったというのである。
一七七〇年というと、ワイスハウプトは二二歳、一七四三年生まれのロスチャイルドは二七歳の時であった。
二〇歳でオッペンハイム商会から独立し、小銭商を営んでいたロスチャイルドはヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム九世の知遇を得、一七六九年に「ヘッセン・ハーナウ侯国宮廷御用商人」に取り立てられた。そしてユダヤ人豪商ザロモン・シュナッパーの娘グトレと結婚したのが一七七〇年である。

ロスチャイルドが自らの財を成すのはヴィルヘルム九世が英国にドイツ傭兵を斡旋して莫大な資金を得たアメリカ独立戦争の時だから、一七七五年以降となる。もし、ロスチャイルドがワイスハウプトに資金提供したとすれば、それは結婚で得た妻の金だった可能性がある。
あるいは、ヴィルヘルム九世がロスチャイルドを使ってワイスハウプトに金を与えたという可能性もある。これについては後述する。
そして、もうひとつありうるのは、ロスチャイルドからワイスハウプトへの資金提供などまったくなかったという事である。
ともかく、一七七四年に、ワイスハウプトはフリーメーソンリーに接近する。

一説によれば大きな力を期待しての事だったという。しかし、実態を知れば知るほど、フリーメーソンリーがワイスハウプトの願っていたような力を持っていない事が明らかとなった。そこでワイスハウプトは独自の秘密結社の設立を思い立ったのだという。
このような曲折を経ての事か、あるいは、ロスチャイルドとの密約があっての計画的行動か、ワイスハウプトは自らの結社ごとフリーメーソンリーに加入する。一七七七年のはじめの事であった。フリーメーソンリーへのイルミナティの浸透が開始された。

百科によれば、イルミナティの儀式は、イエズス会の様式にフリーメーソンの儀式を加えたものだったという。
そして、一七八〇年、百科によれば「フリーメーソンリーのエージェント」、アドルフ・クランツ・フリードリヒ・クニッゲが現れる。クニッゲは一七五二年生まれだったから、ワイスハウプトより四歳下である。しかし、実際的力があり、精力的で、イルミナティに加入してから二年間で五〇〇人の会員を集める手腕を見せた。

一七八二年七月一六日から八月二九日にウィルヘルムスバッドで開催されたフリーメーソンリーの国際会議で、ワイスハウプトとクニッゲは「イルミナティ・フリーメーソンリー」ブランチの結成を宣言し、了承された。

イルミナティはスウェーデン、ロシア、ポーランド、デンマーク、ハンガリー、オーストリア、フランスに活動を広げた。ゲーテ、ヘルダーといった著名人な知識人も会員に名を連ねた。
しかし、一七八三年になるとワイスハウプトとクニッゲの間に不和が生じ、一七八四年にはクニッゲが、

「イエズス会主義者」
「偽装イエズス会」

と、ワイスハウプトを罵るまでに関係が悪化したと百科にある。
ワイスハウプトの傲慢な頑迷さにクニッゲは怒り心頭に発したらしい。

一七八三年頃には、イルミナティにアナーキズムの風潮が蔓延し、バイエルン当局の目にとまるようになっていた。
バイエルン当局は一七八四年から一連の法律を公布し、イルミナティを取り締まった。
一七八四年六月二二日、一七八五年三月二日、八月一六日、一七八七年八月一六日の四回にわたる公布であった。
この最後に公布された法律にはイルミナティ結社への加入の勧誘が死罪とされた。バイエルンでのイルミナティの活動は息の根を絶たれる事となった。
だが、この迫害は、かえってバイエルン以外の地でのイルミナティの啓蒙主義の普及を加速したという。その傾向は特にフランスで著しいものであった。
一七八五年二月一六日、ワイスハウプトはインゴルシュタットを脱出した。
この後、バイエルン当局の告発とワイスハウプト、クニッゲ等の弁明の手紙が多数公開され、残される事となった。
以上がイルミナティのアウトラインである。

ここで話をワイスハウプトの教授就任に話を戻す。
インゴルシュタット大学は教育活動に熱心だったイエズス会の大学であり、教員はすべて聖職者であるのがあたりまえだった。だが、一七七三年、教皇の名においてイエズス会に解散命令が下されたのである。
つまり、ワイスハウプトが俗人ながら教授になったのは、イエズス会がなくなってしまったため、必然的にイエズス会の聖職者を教授にする事が不可能になったからだった。

イエズス会の解散命令の理由は、今で言うテロ活動だった。イエズス会はカトリック教会のアルカイダと言えるほどのテロ活動を展開した。暗殺や謀略活動を各地で行い、各国で活動を禁止されて行った。そして、ついに解散を命じられてしまったのである。

活動禁止は、
一七五〇年、ポルトガル
一七六四年、フランス
一七六七年、スペイン、ナポリ
といった状態であった。

そういう国々では、地下活動を続けていたが、教皇庁への圧力が大きくなり、教皇としてもいやいやながらイエズス会解散を決断しなければならなくなった。

一七七三年の解散命令の後、多くのエイズス会士が英国とロシアに逃亡したと言う。
正教が主流であるロシアではイエズス会が活動を継続していたから当然としても、英国への逃亡は興味深い。イエズス会が主敵として来た相手はプロテスタントであり、英国はプロテスタントの本陣だったのである。

プロテスタントと戦うために結成されたとしばしば言われるほど、イエズス会は対プロテスタント突撃部隊の性格を持つ修道会であった。プロテスタントの脅威があったればこそ、イエズス会はその激しい行動が容認されて来たのである。それが英国に逃げ込み、英国もあっさりと受け入れた、不倶戴天の敵であったはずの両者にしてこれである。まさにヨーロッパの権謀術策の歴史である。

イエズス会が復活するのは一八一四年であるが、それまでの間も地下活動が続けられていたのは当然である。
そこで、英国に逃げたイエズス会が、ヴィルヘルム九世を介し、ロスチャイルドを使ってワイスハウプトに資金提供した可能性が浮かび上がる。
ヴィルヘルム九世は、ヨーロッパにいたが、血筋は英国王室である。アメリカ独立戦争時には英国のためにドイツ傭兵をアメリカに送るなどしている。英国の代理人と見ていい人物である。
微妙な状態に置かれていたイエズス会が自らのチャンネルを使ってカトリック教会に発覚するのを避け、秘密を守れる別チャンネルを使ってワイスハウプトに資金提供するとしたら、これ以上はない送金経路がヴィルヘルム九世ルートである。
いや、イエズス会は英国に金を渡し、依頼しただけかもしれない。そして、ヴィルヘルム九世は、まだ強い関係である事が世間に知られていないマイヤー・ロスチャイルドを使ってワイスハウプトに金を渡したのである。双方がユダヤ人だという事もあったかもしれない。
クニッゲがワイスハウプトを「偽装イエズス会」と罵ったのは、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。

銀行を作ったのはカトリック教会である。戦争ばかりしていた領主や王族諸侯に戦費を貸していたし、十字軍では本国から戦地にいる騎士たちへの給料の送金システムを作り上げた。こうした金貸し業務をするには、当時、教会の許可が必要だったが、教会は自らには何もかも許した。ユダヤ人の金貸しと言っても小金のやりとりにすぎなかった。戦費といった規模の資金は教会にしか調達できなかった。
ロスチャイルドが銀行業で成功するには、教会の中から助力がなければ不可能だったはずなのである。その助力をしたのが最大の修道会であり、資金力もあったイエズス会であったとしても不思議ではない。そうだとすれば、ワイスハウプトへの送金が結びつきの最初だったかもしれない。

スイス傭兵やドイツ傭兵はヨーロッパ各地に雇われ、戦ったが、カトリック教会は大口の顧客のひとつであった。その中でも、スペイン軍人が設立者であったイエズス会は、軍事組織と情報組織と教育機関が一体となった修道会で、傭兵との関係も強かったはずだ。英国がドイツ傭兵を使うにあたって、イエズス会がこれを仲介したという事も十分にありえるのである。

インゴルシュタットを脱出して二年後の一七八七年、ワイスハウプトはゴータに姿を現した。
ゴータに落ち着き、教会に許しを乞う手紙を書き続けたワイスハウプトだったが、許される事はなかったという。それでも、熱心に教会活動を行い、秘密結社のつながりはこれを一切絶っていたと百科にある。
クニッゲは一七九六年に没し、関係があったかなかったか、マイヤー・ロスチャイルドも一八一二年に死んだ。
一八三〇年十一月一八日、アダム・ワイスハウプトはその生涯を閉じた。教会との和解は成立したという。