2014年6月15日日曜日

冷戦の地下

 5月14日付けのドイツのスピーゲルの英語版サイトに、「文書発見:元ナチス軍人たちは非合法軍事組織を結成していた」というクラウス・リグレフィ署名の記事が掲載された。
 元ドイツ国防軍と元武装親衛隊が対ソビエト秘密軍を結成していたという文書がドイツ情報部(BND)文書館から発見されたという内容だ。
  この反共地下軍についてはこれまでにも「グラディオ」「ステイビハインド」などの名称で取り沙汰されて来た。
  この反共地下秘密軍はアメリカの支援を受けていたが、アメリカは英国からその地下軍事諜報網を譲り受けたのだった。第二次大戦中の対独レジスタンスは、英国が戦前から工作していた地下軍事諜報網だった。
  フランスのレジスタンスの中心は暗黒街のギャングで、彼らは戦後になってド・ゴール政権に英米派と見なされ、追いつめられ、狩られて行った。
  また、レジスタンス派の多くは植民地主義者で、ベトナム、アルジェリアを植民地としていた。ベトナムが独立しようとした時、フランス植民者たちは失業したドイツ軍将兵を傭兵としてベトナムに送った。
  フランスのレジスタンスとドイツの国防軍、武装ナチスは昨日の敵は今日の友とばかりに、ベトナムでコラボレートしていた。
  ベトナム独立は、元アメリカの情報工作員だったホー・チ・ミンが指導していたが、ホーの部隊だったベトミンの軍事顧問は残留日本軍だった。
   こうして対仏独立戦争は日独戦となった。
   この時、戦費作りのためにホー・チ・ミンは山岳少数民族に阿片栽培を強要した。
   フランス人たちは少数民族のホーへの恨みを利用して阿片をフランス側に回させ、マルセイユ経由でアメリカに密輸した。これがフレンチ・コネクションと呼ばれた。
   ベトナムでの敗北後、フランス植民地主義者はアルジェリアに行った。そして、ド・ゴールがアルジェリアの独立を認めた時、植民地主義者たちはこれを裏切りとして、ド・ゴールの暗殺を計画し、いくつかの計画を実行に移し、失敗した。
   ド・ゴールはこれを英米の策動とし、フランスのNATO脱退を決め、パリにあった本部を追い出した。
   ベトナムでは、ホーがアメリカと独立交渉をしたが失敗し、ベトナム戦争が激化する。
   第二次大戦後、ソビエトは世界中で地下活動を活発化させ、アメリカは慌ててこれに対処を始めた。そうした背景の中に、支那の国共内戦、朝鮮戦争、そして、ベトナム戦争があった。
   戦争が長期化し、国内世論も親ソ派のプロパガンダに影響された結果、アメリカはベトナムを諦め、ソビエトをアフガニスタンに引き込む作戦に出た。
   台湾軍の地下部隊がベトナムからアフガニスタンに武器を運搬し、それを使ってアフガン・ゲリラがソビエトの傀儡であったアフガニスタン政府を攻撃した。
   ソビエトが北ベトナムに武器を供与し、秘密裏に派兵し、アメリカと戦火を交えていたのと同じやり方を、アメリカはアフガンで行った。    ソビエトはアフガンに侵攻し、ソビエト崩壊まで続く戦争に突入した。
   この間、世界中で左翼過激派の活動が活発化した。ソビエトはこうした勢力に武器と軍事訓練を供給した。ドイツのバーダー・マインホフ・グループ、イタリアの赤い旅団などヨーロッパの過激派にはパレスチナのPLO経由で武器が売られた。
   南米の左翼ゲリラにはキューバ経由で武器が売られた。南米の左翼ゲリラはコカイン売買に関与し、資金源とした。キューバはソビエトからの武器を南米に、南米からのコカインをアメリカに流通させる基地となった。
   ソビエトは、西ヨーロッパ侵攻の意図があったと考えられる。左翼過激派のテロ活動は、社会不安を醸成するための工作で、侵攻の下地作りだった。ヨーロッパでは「鉛の時代」と言われたこの時期、左翼のテロ活動を迎え撃ったのは反共秘密地下軍だった。
   この反共地下軍と西ヨーロッパ各国の右翼運動である国民戦線にはつながりがあると思われる。EU成立後、EU議会は右翼の巣窟と言われているが、反共地下軍の表の部分がEU議会を形成しているのだろう。彼らにはソビエトのヨーロッパ侵攻の野望を打ち砕いたのは自分たちだという気持ちがある。ソビエトの脅威と闘いぬいたその成果を多とするか、その暗黒面を見るか、判断の分かれるところだろう。
   ヨーロッパの反共地下軍はアメリカの支援を受けていた。半分はNATO軍の秘密軍事活動でもあった。また、カトリック教会の支援もあったと言われている。
   小説「ダビンチコード」で悪役として描かれたカトリックの信徒組織オプス・デイは強力が支援活動を行ったらしい。
   CIAと言われるアメリカ人神父がバチカン銀行の中心となり、莫大なカトリック資金を運用した。この過程で戦後イタリア政界の黒幕と言われた右翼と、その組織だったフリーメーソンのP2が粛清された。
   アメリカとバチカンのコラボレート最大の作戦はポーランドで、ポーランドの連帯には惜しみない支援が行われた。
   この頃、アメリカの最高司令官は戦略家ブレジンスキーだったと言われている。
   ブレジンスキーは、今、オバマ政権の背後で中東問題を扱っていると考えられる。
   ブレジンスキーの手法は、表面的な現地化と、地下での直接行動を特徴とする。
   エジプトを始めとする中東・アフリカ各国の内戦は、撤退を控えたアメリカが、現地の反政府勢力を支援して行った軍事戦略と見ていいだろう。傭兵、あるいは、民間軍事企業という形で、国軍ではない軍隊が大量に投入されている。イラク撤退、アフガン撤退の後も、地下での支援、軍事活動は続けて行われる。シリアで明らかになったように、アメリカと対立する側にロシアの支援が行われている。
   チェチェンでは、チェチェン・ゲリラにアルカイダなどのイスラム・テロ組織が接近していると言われているが、その多くが、実はロシアの情報機関FSBがアルカイダなどに潜入させた工作員だという。
   そして、今、ロシアがウクライナ侵攻を行っている最中に、かつての反共地下軍の新たな文書が発見されたのである。